No11
🌞私以外の兄妹は、皆鹿児島に暮らしている。
しかし、一番上の兄だけは、母親と一緒に生活していたのである。
それと言うのは兄は幼少時、日本脳炎を患い、障害が残ってしまった。
しかし、あのシードラゴンズ島に有る、三十以上の集落の名前を全部覚えている。
しかも、一度でも行った所や、会った人の名前は完璧にアウトプット出来るので
ある。
まるで、映画の"レインマン"並みの兄貴である。
妹に言わせると"お兄ちゃんは、日本一のいや、世界一の平和主義者だ"との事。
確かに、人と人の争う事が大嫌いな💔そして、自分自身も争いごとから常に一番
遠くのポジションに居る、人である。
🕺又、スポーツと音楽を好み、心の豊かさが伝わるその兄と年齢が近い姉は、「い
つもいやされる存在」と話している。
ほとんどの家事に自立し、長年真面目に就労を果たし、現在は穏やかな老後である。
👪だが、私一人でこの兄と母親の面倒を看ると言う事でも無いのだ。
周りの人達の助けを借りて、なんとか二年半の期間生活出来たことに、心より感謝
の念で一杯である。
🤢それでも、時にはストレスが溜まり、精神的に追い詰められる事もあった。
そんな時は、小さい頃より育った仲間、同窓生が沢山いてそれぞれにフォローして
くれるのである。本当に有り難かったし、心よりの感謝で一杯である。
👴👵それと、叔母夫婦がシードラゴンズ島にいる時は、兄と畑仕事等の手伝いをする
事もリフレッシュの一つであった。
💰但し、都会の自宅と田舎の二重生活は、お金の面で女房や家の者に迷惑を掛けて
大変申し訳なく、心苦しくはあったのだ。