No2
👨‍🏫時は、昭和三十年代半ばの頃である。
その集落には、電気.ガス.水道が無く屋敷内にある手動式のポンプで水をくみ上げ、薪で
台所の煮炊きをしていた。
💡石油ランプで夜の灯りを取り、もっぱらトランジスターラジオ📻の放送にて、ニュース
音楽を聞いている。
🌏この時間が唯一、外からの文明的な娯楽🎥と言えた。しかもクリアーに聞こえてくるのは、
NHKと米軍極東放送それに支那語の番組。僅か三つしか無かった記憶がある。
😱台風や大雨などで家のポンプの水が濁ってくると、集落の共同井戸まで行き天秤棒で
バケツ二つに汲んでくるのであった。
👵当然、ばあちゃんのようには上手に出来なかった。沢山の水を途中でこぼしてしまい、何度
悔しい思いをした事だろう。
🔥又外にある五右衛門風呂を焚き付けても、薪の組み方が悪いのかいつまでたっても燃えあが
らない。一人前に火を扱う事が、小学校高学年になるまでナカナカ出来ずにいた。
🌛夜になると、少し風のある日は壁の隙間から吹き込んできて、石油ランプを囲った鉄線の影
が部屋の周りに揺れ動いた。
🏠そんな時は、家が恋しくなり、じいちゃんばあちゃんに心配をかけた事などが思い出される。

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